『ラッチョ・ドローム』--[☆☆☆]
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2001/09/14(Fri) 11:09 に書いた記事を2005年8月23日加筆訂正
1993年 イタリア映画
日本公開2001年7月
(渋谷シアターフォーラムで見た)
===
ドキュメンタリー風の音楽映画、
ちょっとしたロードムービー。
ジプシーが北西アジアから発生して
フランスやスペインのフラメンコに至るまでの道のりを、
カメラがそれぞれの場所でのジプシーの生活を追っている
(ようなシナリオでプロのジプシー歌手に芝居させてる訳で、ニセモノではないけどドキュメンタリーでも無い)
ことで、ある意味、ジプシーの流浪の歴史を追いかけるロードムービー、
全編殆どセリフはなく、字幕も大雑把、基本的にはミュージカルに近い。
ジプシー(これも「インディアン」並みに欧米人側から見た名前で、「ロマ」が正式名称だってことらしい)の流浪の歴史というけれど、北西アジアで貧乏なのは当たり前で、東欧で迫害されるのは人種差別や宗教差別で当然で、つまりこのあたりは難しいことを言えばロマに限ったことでは無いはず。
たとえば日本人の一団がそのようにしていたとて同じような迫害は受けたでしょう。
有色人種差別の一種と見れなくも無い。
難しく考えると
多数者による少数者の同化政策はほぼ例外なく全ての国で起きている現象で、これを人類が乗り越えることはかなり
難しいと歴史は示しています。
多数者は自分たちの同質性を確認するために少数者を排除することで秩序を形成しようとし、
(今村仁司「暴力のオントロギー」に詳しい)
少数者は自分たちのスタイルを頑なに守ることで自分たちの同質性を確保しようとします。
新しい「文化」それも両者より上位の文化、もしくは強力な外敵が出現しない限り、
既存の社会の中では両者は和合することは困難です。
それは人間の弱さだけど、それは本質。
みんな自分の居場所を確認したい。
迫害される、追われる少数者の一種であるロマ。
違いはむしろ、彼らが迫害されたときに闘うのではなく、
音楽というシーンで文化に溶け込み、
そういう役割として自分たちも周囲の人も活かしていく、
そのあたりにロマの文化の特質があるのかも、って思います。
その結果が各地にある音楽の中にロマ音楽が色濃く残ってるという事実だと。
映画はそれを通して、ロマ文化のすばらしさ、力強さを伝えようとしているのかも知れません。
たしかにジプシー独自の武術・戦闘術というのは無いと思うし(アジア出自にしては珍しい)、
特殊な被差別民族だと思います。
闘わずに音楽のチカラで「自分の居場所」を作っていく
・・・しかし音楽は残るけど居場所は残らない、みたいなことに
悲しさを見るか、強さを見るか・・・
これは人によって違うのでしょうね。
個人的には音楽が好きなので思考停止する限りにおいて楽しめました。
悩みは続編の『ガッディ・ジョーロ』見たときに明確になった気がします。